ネズミのディオゲネス


シノペのディオゲネスはネズミの名前ではない。
古代ギリシャの、ソクラテスの孫弟子にあたる哲学者の名である。

デグーはこの国でペット・アニマルとして流行中の生物種だ。
先進国で流行する飼育動物には共通の傾向がある。
一つは人に懐きやすいこと。絆が結ばれ情が湧くと、人はそれを手放しがたくなる。
一つは小さいこと。先進国の人々の多くは限られた地域に密集して暮らしているからだ。
一つは繁殖が容易なこと。これはペットの販売業者にとって、製品の生産コストを意味するからだ。
デグーもまた、皮肉にもこれらの要件を満たしたため大量に市場に出回り、
そして多くの非営利の飼育者が繁殖に成功し、次第に値崩れし、
次第に周知される様々な問題、社会性の高さ故に小鳥ほどの鳴き声でよく鳴くことや、
孤独にしておくとひどく寂しがること、湿度の高いこの国の夏に適応できないこと、
などが判明すると、流行初期に飼いはじめた上流階級を除く多くの飼育者が飼育を断念する。
こうして生まれた行き場の無い多くのデグーの一匹が、ちょうどボタンクイールやメキシコサラマンダーの時のように、このアトリエに流れ着いた。
小さな透明のプラスチックでできた手さげケージの中で、その子供は与えられたトイレットペーパーの芯に潜り込み、尾の先端に血をにじませていた。
その初対面と、粗食の動物と聞いていたこと、トーベ・ヤンソンの児童文学に登場するテンジクネズミの哲学者に少し似た顔立ちから、
酒樽に住んだ清貧の哲学者ディオゲネスが連想された。
そしてこの哲学者の名前を与えようかどうか、私は八ヶ月あまりも思案した。
その初めの一月は、年をまたぐ肌寒いひと月だった。

ディオゲネス、とまだ名付けられていないネズミが私を警戒していたように、
私もまたネズミを警戒していた。私はひどい動物アレルギーを持っていたから、
この珍しい動物の体毛や皮脂が、私の皮膚や粘膜にどのような作用をもたらすか気が気でなかった。
しかし、受け入れなければそれは判然としないことだし、それより仕事をしなければならなかった。
作業デスクの背の壁に姿見を立て掛けていたので、その裏に手さげケージを置いて、私はデスクに着いた。
しばらく作業をしていると、ネズミの爪が石床を掻くかすかな音が、イヤホンの向こうに聴こえた気がした。
振り返ると、チュッ、と驚きの声をあげたネズミが、石床に四つ足を空回りさせ、走って姿見の裏へ消えた。
またしばらくして同じ音が鳴ったので、振り向くと再び走って逃げていった。
ゲームのようで面白かった。ネズミは真剣そのもので、徐々に逃げこむ物陰を心得て、増やしていった。
私と視線が合わない場所、姿見の裏、クリーナーの裏、ラックの下、私の後ろ…そういった地点を経由し、
遂にネズミは、私に見つからずに私の足元までやってきた。
ネズミにとってそれは、最低限達成しなければならない条件だったのだろう。
見知らぬ私と、友好関係を結べるか試してみる上で。
私はキーボードに向かって仕事を続けた。その様子は、何か食べているか、食料を探しているか、
誰かを毛繕いしているか、どこかいい処を見つけてたどり着こうとしているか、
そういった風に見えたらしい。好奇心を抱いたネズミは、躊躇いがちに私の冬用作業着を登り始めた。
彼は膝元の布のたるみまで登ると、そこがふかふかと暖かいことに気付いた。
そして周囲を見回し、微量の尿をその場に残して探検を再開した。
マーキングと呼ばれるこの行為は、山や森などの立体的な地形に住む生物に見られる行動で、
尿にはその種だけが識別できる特殊な色や匂いが含まれている。
そのため、私が少し拭き取ったくらいでは彼らはこの目印を失わず、
高い運動能力を発揮して一通りの探索を終えると膝に戻ってきた。
この膝の上はネズミのお気に入りとなり、
私は膝にペンタブレットという10万円の精密機械を乗せて作業するのがお気に入りだったので、
この日から私の作業場は緊張感あるものとなっていった。
ネズミがすべすべしてほのかに発熱するペンタブレットの上で尿をするのをやめさせると、
かわりにツタめいた3万円のイヤホンのコードをかじろうとした。
コードをかじらぬよう私が抗議すると、デスクに逃げ移って20万円のコンピューターの丘陵地帯を駈け回った。
思えばこの初めのひと月はいわば失業の危機で、私は心の底から全力でネズミとコミュニケーションを取っていた。
デグーは見晴らしの良い高所へ登って周囲を眺めることを好み、私の膝から腕へ、腕からティーテーブルへ登った。
愛用のボーンチャイナのティーカップのボディがあとほんの少し薄ければ、たわむれに噛み砕かれていただろう。
彼はかわりにティースプーンを盗むことを好んだ。10回に1回くらい、つまり私が紅茶に砂糖を入れる確率で、
机の上、カップのほとりのスプーンを舐めるとすこし甘いことを、彼は首尾よく発見していたのだった。
ディオゲネスはプラトンのイデア論に反対し、机や杯は見えるが、机や杯「そのもの」など見えはしない、と言ったという。
ネズミはすくすくと育ち、私の膝の上、人間でいう3階建てのビルの高さまで跳躍するようになり、
不法侵入したテーブルから逃げるときは、人間でいう5階建てのビルから飛び降りた。
ディオゲネスは、運動の不可能性という議題を、目の前で歩き回ることで反証したという。
しかし、人の死角から現れてパンを奪おうとする彼とも、次第に打ち解けて共生しはじめた。
同じパンを奪い合うほど価値観の近い種族は、同じパンを分かち合うほど気易い友にもなりうる。
彼は自然界の競争原理にのっとって狩りの日々に励んでいるだけで、その純粋な心に妬み、蔑み、嫉みのような感情を持ちあわせない。
ふた月目には、彼は緊張せず共にいられる親しき友にまでなっていた。
彼の作法で頼めば毛繕いをしてくれるし、夜は作業机が眺めやすい仮眠用ベッドのへりに陣取って、
眠気まなこをまたたきながら私の仕事が終わるのを待っていてくれるようになった。
そしてあまり眠いと呼び鳴きをしながらとろとろと近づいてきて、私のシャツに潜り込んで眠ってしまう。
臆病な彼らにとって仲間と共にする睡眠は、ただの休息以上の大きな娯楽であり、大切な文化なのだろう。
その頃には、彼は部屋のどこででも過ごすようになって、柱の影や、袋の中など、そちこちで安らいでいる姿を見かけられた。
ディオゲネスは神殿や倉庫で勝手に寝ては、アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる、と言ったらしい。
率直に物を言うネズミとの間に駆け引きはできず、私の就寝時にあまり寂しがって鳴くので、
ベッドに連れ添わせてやると、水面を小石が跳ねるような音色で、まどろみながら喜びを示す歌を歌った。
娼婦フリュネはディオゲネスの精神に敬意を示し、無償でディオゲネスを床に迎えたという。
あるとき私がベッドで目覚めると、ネズミは私の傍らを離れ、ベッドのへりに横たわって部屋の景色を眺めていた。
落ちては危ないと私が手を差し伸べると、嫌がって衣装ケースへ飛び移り、再びそこへ腰を下ろした。
アレクサンドロス大王が将軍としてコリントスに訪れたとき、ディオゲネスは挨拶に来なかった。
そこで将軍から挨拶に訪れると、ディオゲネスは日なたぼっこをしていた。
将軍がディオゲネスに望みはないかと聞くと、あなたがそこに立つと日陰になるから、どいてくれと願ったという。
奔放なネズミは、時折、後肢を垂直に持ち上げる動作をする。血を集めた生殖器を体外に露出させる動作で、
これをした後は必ずその場でしばらく自慰に集中し、そうかと思うと、前触れ無くケロッとした顔でやめる。
ディオゲネスもまた道端で公然と自慰に及んだという。擦るだけで満足でき、貨幣もいらず、
食欲もこのように簡単に満たされればいいのに、とまで言ったらしい。
ある仕事の締切が近い週、作業の邪魔にならぬよう、彼を手製のケージに閉じ込めた。
すると彼は何度も頭を天井にぶつけ、遂には木の枠を壊して出てしまった。
ディオゲネスにしつこく付きまとわれた師アンティスネスが怒って杖で彼を殴ろうとすると、
ディオゲネスは、木を私を追い出せるほど堅くはありません、と言ったという。

このようにディオゲネスは、その思想よりもむしろ逸話によって人となりを知られる者である。
彼は人々に笑われる一方で愛されてもいて、彼が住まいにしていた樽が割られれば、すぐに別の樽が与えられた。
私は実入りのよい仕事を終えた報酬で、ネズミに新しい丈夫で大きめのケージを買い与えた。
そうこうする内に、旅立ちの日程が近付いた。
私はボタンクイールを6羽と、サラマンダーを1匹屠殺した。
ネズミは中庭から木霊するクイール同士のさえずりや呼び鳴きを耳にするたび、
彼らと友達になろうと、調子を真似た鳴き声を力いっぱい返し、喉を枯らしていた。
幻が消えたようにしじまになったアトリエの居室で、私は虚ろな悲哀に暮れていた。
そこに、荷造りのダンボールでできた岩場の隙間から、ネズミが駈けてきた。
ネズミは、喪失と不安でひどく涙をこぼす私の頬を舐め、肉球のような柔軟性のある鼻を、私の鼻へ押し当てた。
そして私の嗚咽が止まるまで、短い両の前足を伸ばし、ツタの新芽のような掌を広げ、私の胸に添えておいてくれた。
ディオゲネスは、唯一の正しい政府は世界政府であると言い、自身を世界市民であると主張した。
人類史上初めて明言された、世界政府の思想であるといわれている。

それから結局、迷っている間に呼びつづけた「ネズミ」が馴染み、彼の正式の名はディオゲネスではなくなった。
それを決定づけたのは、引越し先へ電車で移動中、ある通過駅の停車アナウンスに、手さげケージの中の彼がぴくりと反応したときだった。
その駅の名は「根津」という。

<終>

5章 狩人