求愛給餌


パン生地をステンレスのこね皿からこそぎきる。
白黒模様の雌鳥(めんどり)が、人類にもいつかの時代に流行った挨拶をする。
つま先立ちで後ろ足を下げ、首をかしげて上目遣いで片目を見開く。
ここ暫くデグーの観察に忙しく、ボタンクイールと交流が少なかったことに気付く。
このアトリエの中庭にはクイールが暮らし、居室にはネズミが住んでいた。

ステンレスのこね皿は鉄とクロムでできている。
こそぎきったパン生地は小麦粉とイースト菌でできている。
ステンレスが人工的な合金鋼なら、パンは人工的なキノコといえる。
それは栄養豊富な単細胞真菌類のコロニーで、顕微鏡で覗くとパンもキノコも同じ「巣」の形をしている。
ぬるま湯と蜂蜜と木の実で練った小麦粉は、暖気を含んだ雨天の明くる夜明け前の、
薄青色の散乱光を湛えて目覚めを待つ樹木の、根と根のまにまに注がれた腐葉土の水だまりだ。
それならば、私は水たまりを抱き抱える樹木だった。
雨に濡れた樹皮と同じ色の黒いデニムパンツを、デグーが這い登ってくる。
彼は、アンデス山脈の高山帯から亞高山帯に渡る広い清潔な故郷を持つ草食のげっ歯目で、
ネズミ全般の類型に当てはまる、天恵の持久力と登攀能力を備えている。
登攀能力はそのまま前足の器用さや視力につながり、空間の認識能力の発達を促すので、
多くのネズミは、人間が猿や、たまに犬や猫に言うところの、ある種の知性にも優れている。
だから賢いデグーは、よく滑る綿の白いシャツの岩壁に点在する縫い目やボタンに爪を走らせ、
空飛ぶこね皿に囚われた芳しい真菌類のコロニーへ、間もなく辿り着く。
目前で髭と鼻孔をひくつかせて獲物の美味を確信した頭蓋が、実は肉食動物のように大きな可動域を隠していた顎で、パン生地を勢い噛みちぎる。
デグーは完全な草食性のげっ歯類である。しかし、そもそもこの類の動物には雑食性の素養があるのだろう。
哺乳類の原型とされる古生物のエオマイアも、ネズミに似た種であったと考えられている。
私は抗議の鳴き声で振動する肺に力をかけぬようデグーを片手ですくいあげ、着地しやすい角度で足元へと下ろした。
そして行使した自身の前足と空間認識力に満足している間に、盗賊は石床を駆け抜けて彼方へ消えてしまった。
よく響く部屋に、長らく人類と敵対する彼らが、盗みだした獲物の咀嚼を安全などこかで再開した音だけが小さく反響した。
彼らは時におぞましいほど人間に近い。それだからこそこんなにも殺し合い、資源を奪い合ってきたのだろう。

デグーが去った居間の可聴域は、再び庭からの鳥の歌で満たされた。
振り返ると、開け放たれた扉の先でちらちら金色に輝く草むらに立つ、白黒の鳥と再び視線が合った。
鳥は先と同じ調子で、まるでこの昼初めて偶然に出会った風に、例の時代がかった挨拶をする。
つま先立ちで後ろ足を下げ、首をかしげて上目遣いで片目を見開く。
そうなれば、誰だって思わず微笑して、彼女が欲しがってるものを譲りたくなる。
それがこね皿にこびりついたパン生地の一摘みでよければなおさらだ。
ボタンクイールは無欲というわけではない。むしろ多くの鳥類に倣い、望むものは全て欲する強欲な気性であって、
ただ種族の異なる故にたまたま価値観の折り合いが付くことがあるに過ぎない。
それが生態系というものだ。私の不要品が、彼女の一日中スキップして歌うだけの幸福になることがある。
半円形のボウルの内側を人差し指でそっとなぞると、ひとすくいの生地が指先の腹に集まる。
それを親指と二本指で摘んで転がして見せ、了承を得て目の前に置こうとする。
するとそのとき、まさに同じことをしようと脇から試みている若い黒青色の雄鳥が現れ、目が合ってしまった。
私は思わず差し出した指を戻して視線を外す。
なるべく鳥に理解できなさそうな角度の横目になって、再びそっと様子を眺める。
思えば彼らの広角な眼球の視野を出し抜こうとするこの試みはあまり意味がなかったかもしれない。
白黒の雌鳥は若い雄鳥の用意してきた雑草の種子のプレゼントを無視して、
相変わらず濡れた碁石めいた黒目を正面に向けて、その注視をこちらへと注いでいた。
白黒の鳥が群れの雌の中でいつでも最も健康状態がよく、
それなのに交尾や抱卵をする様子がない謎が解決した瞬間だった。
順序が逆なのだ。
ずっと交尾や抱卵をしていないから、極端に健康を維持しているのだ。
白黒の鳥の「挨拶」は、単に餌への関心や、ふとした好奇心からの態度や、
その他のなんらかの気まぐれな感情の発露のようなものではなく、
ごく本質的な求愛の様式だったのだ。
つま先立ちで後ろ足を下げ、首をかしげて上目遣いで片目を見開く。
もし私を愛してくださるならば、どうぞ仲良くしてくださいね。
そのような繊細な誇示(ディスプレイ)なのだ。
私は知らず、平和な声色を真似てささやきながらこれにパン生地を捧げてきた。
これは彼らの種族における求愛給餌の意味を持つ。
人間でいう本格的なバレンタインチョコ、あるいは婚約指輪に近い。
私はこれほどの資源を渡せるほど君を愛しているし、
君もそうであることを心から望む。
そのような意味を、言葉にも暴力にも依存せず相手に伝えるのが求愛給餌だ。
白黒の鳥は同意して、私のパンをついばむ。
そして間もなく、人類を含むいくつかの種がそうであるように、
この契約が満了するかしないかの内にでも、雌雄のどちらかが牽引して次の過程へ進めようとする。
この性急さは過密で頻繁に入れ替わる群れを形成する都市部の人類、多産な鳥類や昆虫などに顕著だ。
環境条件が性急さの遺伝子を覚醒させるのか、あるいはただ生き急がない個体は淘汰されたのかもしれない。
逆に、こうした群れを形成しない種の求愛は、長く厳密で、ただのひと時には成立しない。
冬季にのみ集団を作るタンチョウ、
日常的に同種を食欲の対象に振り分けるキングスネーク、
人生の殆どを独り深い水底で過ごすメキシコサラマンダーなどは、
いずれもつがいがその結論に至るまで、長く長く誠実なワルツを踊る。
人類にも、一人一人が粛々と暮らし、年に一度だけ舞踏会や祝祭に集うような文化や時代は散見される。
ボタンクイールに意識を戻そう。結論から言えば、彼らは長く複雑なダンスを踊らない。
東南アジアの原生地において、彼らが非捕食者であった歴史の長さもこの性質と無関係ではないだろう。
彼らの意思表示は迅速にして、およそ2.1秒の告白に凝縮される。
まず下半身の、平時はあらゆる地形を軽やかに指先で爪弾く細い強靭な両足で、地面をかたく掴む。
このとき、卵を柔らかく抱く包容力を証明する豊かな下腹部の羽毛が、地に押し付けられてふわりと広がるほどに上体を伏せる。
そしてなめらかに頚椎を前方に伸ばし、頚椎を経て骨盤に至るまでの全身で、しなやかなS字曲線を形成しながら相手を見上げる。
最後に、その鳥がかつて雛だったころ、温かな親鳥の胸毛に包まれてよく発した声に似た、
悲哀も苦痛も憎悪も全て取り除かれた、平和で甘やかな和音をさえずる。
それは軟金属の鈴が水流にたゆたう幻聴で、人類が聴いてすら、
その個体が発することのできる中で最も優しく愛しい音であると直感させられる。
白黒の鳥は物心ついたころには、ほんの数秒目が会うたび、
そのような求愛を同種でなく、一人の人間に向けてきていた。
彼女は、中庭の縁に腰をおろして紅茶を飲んでいるとき、いつも傍らで歌ってくれていた。
それはたまたま、よく着る服の色が彼女の羽色に似ていたからかもしれない。
愛の理由を本当に問いただすことは、同種であろうと誰が誰に対してもできはしない。
白黒はっきりしているのは、2.1秒の求愛を受けたら、それが終了するまでに交尾を開始しなければならないことだ。
距離や角度などの関係で明らかに対応が不可能である場合などは、
雌側の気分が続く限り、求愛を2、3回繰り返してくれることもある。
2秒が4秒、6秒になろうと、何が変わることもない。
他の鳥達が育ち、命を愛に費やし、そして早いものは永遠の眠りに就く中で、
白黒の鳥の毛並みと、瞳と、歌声だけがいつまでも美しかった。

<終>

2章 屠殺(前)