2の鉱夫(終) <ver1.1>


どこか遠くで鳴った高い金属音の残響の長さが、空間の茫漠さを伝えてきた。
ゆるやかにうねりながら下方へ立体的に伸びていく、蛇の体内のような道の造りは、確かによく知った坑道の特徴だった。
壁は携行型3Dプリンターで圧着された耐震ハニカム構造の樹脂壁がフジツボのようにびっしり続き、
どこか奥から金属音と振動が伝わる度に、いくつかのフジツボから土埃を吐き出された。
改良を重ねた設計データさえあれば低コストで高度な構造物が量産できる。
その理屈からして生物とDNAの関係に酷似している工業製品という概念は、しばしば生理的に不気味に感じられた。
人型のロボットが不気味なのは見た目が人間に似ているからじゃない。
それが生命そのものに似ているから、深海で発見した新種の昆虫や脊索動物のようだから、
感覚が不気味の谷に突き落とされるのだ。命とはなんなのかが、分からなくなるから。
粉雪のようにまばらに土の降る坑道の足元には、いくつかの消えかかったキャタピラ跡の上に、真新しい平行な軌跡が二筋刻まれていた。
ドローンだ。この先が鉱山なのだ。
自分が何をやろうとしているのか、考えもまとまらぬまま、奥へ奥へと歩きながらその辻褄合わせを思案していた。
思えば人生など、運命が先にあり、後から注釈を付けていくようなものが大半で、
人間として生まれてから生まれた意味を考えるように、歩きながら歩きだした理由を考えるだけのことだった。
勿論、生まれた意味はまだ考えていなかったが。あれは時間がかかる。それらしい意見や思い出を集める時間も、自分で考える時間も。
何よりも、生まれたという出来事があるその瞬間は必ず、物事になんでも意味や理由を求める厄介な精神が形成されるより、はるか昔のことだ。
人類学が人類の起源を探ろうとするようなもので、生まれた意味を知ろうとすることは、ある種の相対的な考古学なのだ。
かといって、この世に考古学者がいないわけではないし、物好きは好きなだけなんでも研究すればいい。
しかしそうでなければ、誰でも言い伝えや、宗教や、そういったものに仮託して、地球の反対側で行われた殺人の動機を一行の報道で知るように、
少々の疑問には納得して先へ進む他はない。そうさ…俺はただなんとなく生きているんだ。だから子供も失う。
曖昧にぶら下げたこの手の指と指の隙間から、零れ落ちていく。土埃だけが残る。
キインと金属の音が響いた。そろそろ判断が付く。これはツルハシの打音だ。
この音を聞くと言い知れぬ空虚な気分になる。その正体は分からない。
いくつもの分岐路があり、そのたびに足を止めて、ツルハシの音に耳を澄ました。
いつまでも聴いていると、右からも左からも、頭の後ろや前からも音が聴こえるような気がしてきて、
あの虚空と闘うような聴力検査の時間を思い出す。暗く狭い防音室で、外界から途絶され、残されているのは高音を探り当てるゲームだけ。
あの検査の嫌なところは、高いスコアを取っても大抵はなんの意味も無く、極端に低いスコアだけが心身の異常として問題になることだ。
だが、今は違うぞ。これは真剣な作業だ。ドローンのやつに辿り着けるか、誰も訪れない採掘の終了した跡地に行き着いて、遭難して死ぬか。
何度目か分からない分岐路を曲がったとき、何かに足を引っ掛け、膝と手の平で地面に伏してしまった。
すると両の手の間に見える地面に、無数のキャタピラ跡が見えた。
俺は馬鹿だ。一等新しいキャタピラの軌跡を追っていくだけでよかったんだ。何がゲームだ。真剣な作業だ。
待ち構えていたように睡魔が鎌首をもたげ、目ぶたを重くした。土まみれの地面は悪くなかった。
キャタピラの跡も、よくよく見ればメッシュ地のベッドのようじゃないか。
ほとんど無意識に姿勢を変えて仰向けになろうとしたとき、また足に何かが命中した。
脛を打って、じんと骨まで痛みが浸透する。重金属製であろう被疑者の正体は、打ち捨てられたツルハシだった。
痛みで眼が覚め、やり場の無い苛立ちに駆られてツルハシを掴んだ。
それは自分の片腕ほどの長さにして想像の3倍は重く、両手で掴み直し、やっと直立させることができた。
しばらく嘴と同じ高さで金属面に映る土まみれの顔を眺めたが、やがてその得物に全体重を掛けて立ち上がった。
すると、自分は言葉遊びの上でのこと以上に、鉱夫なのだという気がした。
坑道の奥へ向き直った。土の肉と樹脂の骨格でできた蛇の腹わたに、重金属の鶴のいななきがまばらに響きわたっていた。

奥はまだあまり手の付けられていない小さな採掘場だった。ドローンの姿は無かった。
聴覚検査で間違ったのだと思った。いや、はじめから正解なんてありはしなかったのだ。
何をどうやったって、仕事やゲームのように、ご褒美やら、報酬が待っている訳はなかった。
それでも随分歩いてきた気がする。ここは不思議と居心地が良かった。
ハニカムの壁をツルハシで叩くと、崩れて小さな崖ができた。その崖に携帯端末を置いて、照明がわりにした。
採掘場の広さは自分の部屋くらいだった。ひょっとしたら階層も、そのくらいの深さかもしれない。
携帯端末は朝8時を示していた。朝か。こんな時間に目覚めているのは久しぶりだ。
いや、ひょっとしたら眠っているのかもしれない。どこかで転んで倒れた拍子に?
それは違う。ここには人生の実感がある。今、自分は人生に立っている。
ツルハシを振り上げて、眼前の壁にまっすぐ振り当てた。スポーツはいい。
歌を歌おうと思ったが、土煙が巻き上がって口に入るので、すぐに鼻歌に変えた。
レディ・ガガの、思いつくフレーズから、でたらめに鼻で歌っていった。
んんんんん、んんんんん、んんん、んんんんんん、
メロディの休符に合わせてツルハシを持ち上げたり下ろしたりした。
ツルハシが土壁を砕く度、振動が伝わり、自分の全身の骨や内蔵が少しずつ砕けていくような気がした。
鼻歌にビブラートが掛かった。坑道の奥は完全に静かで、それで自分の発するあらゆる音が豊かに残響した。
砕ける壁と土煙で景色が変わってゆくので楽しかった。足元に大河のように土砂が堆積していった。
中国の美術館にある、水墨で描かれた山河図のようだった。仙人や天女の住まう山々の間を往く、一艘の舟漕ぎのつもりになった。
どれほど掘っただろう。もう歌も思い付かなくなって、お気に入りのフレーズばかり何度も歌って、それを最後に黙っていた。
奥へ掘るほど、段々と辺りが暗くなっているようだった。夜が訪れたかと思ったが、この世界はそういうものではなかった。
松明のかわりの携帯端末が、遠ざかっていたのだった。取りに戻ると、速報が受信されていた。
レアメタルは政府が買い集めて秘密裏に地下に設置したもので、人工的なものだという話だった。
そんなことはもうどうでもよかった。ネットワーク接続を切ると、残りの電力に余裕ができた。
再び手近な岩壁に飾り棚を穿って、そこへ明かりを灯した。俺はまるで地底の王だった。
己の国を掘って、掘って、掘り起こした。スコップや荷車があればよかったが、ツルハシをいちいち手放すのも面倒だから、
度々自分の掘り返したものに自分の体が埋まって、訳の分からない姿勢になりながら、それでも掘った。
そうする内に、いつしか照明も尽き、真っ暗闇の中で、目を瞑って掘った。
段々と、睡魔がぐずり出し、眠たいよ、と訴えた。
一つ打つごとにツルハシの音が小さくなっていき、意識か、握力のどちらかが限界だった。
その時、奇妙なことが起こった。ツルハシで打った堅い壁の振動が、こちらに揺り戻ってこなかった。
確かめるように数度打ったが、同じだった。手を伸ばすと、空間があった。
空調の音が聴こえた。知っている音、知っている匂いだった。自分の部屋だった。
目を開くと、ベッドの上のタブレットコンピューターのスリープライトが一番星のように小さく、確かに灯っていた。
その星まで歩いていって、星の傍らへ横たわると、2222年2月22日が遠のいていった。
死んで、明日からは違う人生が始まるのだと思った。

<終>


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