2の鉱夫 2<ver1.2>


天文学と結びつきのある神話において、
雷神や月神、太陽神などの所在たる天界とは、上空を意味しない。

ギリシャ神話のカストルとポルクスは地球外18光年の双子座だ。
ローマ神話の軍神マルスは、今年で219年間人類からの侵略を拒み続ける不落の地球型惑星だ。
核熱融合し続ける天照大御神のプラズマ・ヴェールは人類には直視すらできず、
冥王星の地表の不規則性と冷気は死神ハデスの御業としか説明しようがない。

誰もが神々のご機嫌を伺いながら生きていた古代から、
神の存在証明は果たされずにいる。

ものの数百年で太陽光や水風力に淘汰された産業革命で死んだのは神でなく、
埃まみれの教会の権勢に過ぎなかった。工場の煙突が尖塔より高く、
ディーゼルエンジンが賛美歌よりうるさく、
排気ガスは聖堂のフレスコ画より眼に染みた、それだけのことだった。
世界が神様を否定できないのなら、この採掘にだって希望はあるはずだ。

地球人口の30%を花粉症にした排気ガスが根絶された今、
人の網膜を脅かすのは専らLEDモニターだった。
LED。今や家庭用としては枯れた技術だというのに、経済の波のまにまに小さな流行を繰り返している。
それは要するに他の光源より少しだけランニングコストが安く、少しだけ人体に有害だからだ。
人々が豊かな時に在庫が蓄積し、貧しい時に流通する。流通するたびに少しずつ技術が進歩し、
次の流行に結びつく程度には燃費と安全性が改善されてしまう。
そうなれば、前の流行で問題になったことはおとがめなしだ。
しかし、こんな光は、本来は植物や家畜の成長を管理するためのものだ。
俺の尊厳を奪い続けるLEDを睨みつけ、一日も早くロスト・テクノロジーになってくれることを願う。
暗い部屋で開いた瞳孔に、光刺激が刺さる。部屋には照明がない。信じられない話だが、これが先進国の先端技術者の仕事場だ。
飽和した地上の電波帯域では、ドローンを遠隔操作し続けられる強固なネットワークを廉価で新設できないので、
部屋は地下深くにある。地下室から地下鉱山へなら、何にも邪魔されずに無線を立ち上げられるわけだ。
その代償として、ここには太陽光発電も風力発電も水力発電も届かない。
法律で地下10メートル以下には電線が延長できないせいだ。
地下での地震等による断線事故を防ぐという名目になっているが、
実体は耐震建築技術の発展に比例して増加する地下住宅に対応できない政府が、
現行法を一新するかわりに定めた「責任放棄」のアナウンスだ。
それは地震の最も頻発した混乱期、どさくさまぎれに施行された。
こんな法律がなければ、地下資源はもっと以前に採掘されていて、我々の世代にはこの国ももっと豊かだったかもしれない。
LEDが目に染みることもなかったかもしれない。
そう思いながらも、どうにか作業を続けている自分がいる。
わざわざタブレット型のモニターを選択したのは正解だった。
VR用モニターが普及し、投影型ディスプレイが普及し、網膜チップディスプレイが登場しても、
旧製品が市場の片隅に残り続けている時は、懐古趣味以外のそれなりの理由がある。
その理由の一つは視覚への負担の軽さだ。
VRディスプレイが流通しはじめたばかりの頃、人々はわずかな時間モニターを利用するたびに目眩や吐き気に襲われたという。
当初から高級品と廉価品に二極化した市場を持っていたVR製品の歴史を読み解けば、彼らの体調不良が製品の質による物とは考えづらい。
となれば、ユーザーの側が、VR製品に適応できなかったということだ。
何故か?従来品の負荷が、相対的に快適なものだったからだと俺は思う。
遺伝子改良も人工眼球も無い時代、しかし多くの労働者は一日の半分近くもディスプレイに向かっていたという。
なにせ当時のOSといえば、90%以上の操作に視覚確認を要する代物だったのだから。
なんとノスタルジックなガジェットだろう。まるで今の自分の作業環境だ。
笑い皺を口端に浮かべた瞬間、その作業環境から、けたたましい警告音が鳴り出した。
表情の変化を認識して起動するウイルスにでも感染した?あるいは採掘ドローンの異常?
画面に映るツルハシは我知らずといった調子で上下動を繰り返している。
平静を失って馬鹿げた思案をいくつか経たのち、数時間前に自分がアラームをセットしたことに気付いた。
そうだった。2222年の2月の22日の、2時22分22秒にセットしておいたんだった。
平静を失っていなくても馬鹿げたことばかり考えているようだった。
数時間前の自分は一体、この時刻に何を期待していたのだろう?
年越しのカウントダウンのような感慨を?
不意に、火種が着火するように笑いが込み上げ、それが今まで気にも留めなかったドローンの滑稽さに飛び火した。
画面の向こうでツルハシの付いた戦車が闇の中にお辞儀を繰り返している。
鶴の嘴と書いてツルハシ、日本の準国鳥、絶滅した長寿のシンボル。
モニターに自分の血走った眼が映り込む。ドライアイだ。俺は渇いている。何もかもおかしかった。
これは感情の自家発電だ。エコロジズムだな。その連想はさほど面白くなくて、
あるいは単に笑いの火勢が収まって、作業部屋に静寂が戻ってきた。
こんな空気の薄い地下では、何もかもあっという間に消火されてしまう。
偏在するレディ・ガガが歌い始めた。

<続>